この博物館の建物は昭和26年に建った住宅です。
昭和25年にはじまった政府の住宅政策、住宅金融公庫の融資を受けて建てた、いわゆる公庫住宅です。公庫住宅としてはもっとも初期のものになります。
当時は建築資材が不足していたため、公庫の融資住宅には規模や工事費の制限がありました。したがって規模も小さく、いたって粗末なつくりです。
ここに平成8年までの45年間、私の一家がくらしました。
最初は両親と娘4人の6人家族でしたが、やがて長女・3女・4女の3人がこの家を離れ、両親と次女がくらしていました。しかし昭和57年に父が亡くなり、ついで平成4年に母が大腿骨骨折のため寝たきりとなったため、この家を出て長女の私の家に移り、さらに6年に次女が亡くなりましたので無人になってしまいました。
壊してしまうことも考えたのですが、この時期に建てられた住宅が現在、ほとんど残っていないことと、1軒分の家財がそっくり残っていることから、決して立派な家でも家財でもありませんが、これはまるごとが戦後の庶民のくらしの資料ではないかと考えて、このまま残しておくことに決めました。
考えてみれば私たちが生きた昭和という時代は、昭和恐慌によって幕を開け、日中戦争、太平洋戦争と、あいつぐ戦争から、戦後はまた、生産体制から社会、文化、生活のすべてにおいて大変動が起こった激動の時代でした。
そしてこうした時代の激流にもっともおおきな影響を受けたのがくらしです。くらしは人間が生きてゆく上の基礎となるものですが、くらしというものを重視する基盤の弱い日本では、まず最初に犠牲にされるのがくらし、それも庶民のくらしです。このため、単に住宅と家財を保存しておくだけではなく、ここを学習の場として、くらしの面から昭和という時代をもういちど考え直してみたい、そして出来得るならば、くらしの哲学といったものを打ち立てたいと思い、「昭和のくらし博物館」としました。
どうかみなさまもご一緒に昭和という時代をもういちど考え直してみてください。
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